ココロノート処方箋

相手を思うほど、お願いが怖くなる僕へ。

相手を思うほど、お願いが怖くなる僕へ。

僕は昔から、人にお願いするのが苦手だ。
それは単に「頼み方がわからない」とか「恥ずかしい」という単純な話ではない。
相手の状況を想像しすぎて、共感しすぎて、言葉が出なくなるのだ。

たとえば、同僚に少し手伝ってもらいたいとき。
「今、あの人も忙しそうだな」「無理させたくないな」と考えてしまい、
結局、何も言えずに自分で全部抱えてしまう。

本当は、「少しお願いしたい」と伝えれば、きっと快く助けてくれるだろう。
でも僕の中では、その一言が“押し付け”になるんじゃないかという不安が膨らんでいく。

共感しすぎる僕の優しさが、時に自分を追い詰める。
そしてその優しさが、「人を思いやること」と「自分を削ること」の境界を曖昧にしてしまう。

僕が気づいたこと

ある日、上司にこう言われた。
「お願いって、相手に“選ばせる余地”があるからお願いなんだよ。」

その言葉で、少し肩の力が抜けた。
“押し付け”になるのは、相手の都合を無視して頼むとき。
でも“お願い”は、相手に選ぶ自由を残したまま、自分の状況を正直に伝えることなんだ。

それに、お願いすること自体が、相手を信頼しているというメッセージにもなる。
僕が誰かに頼られたとき、むしろ嬉しかったように。

少しずつ、お願いの練習をしてみる

  • 小さなお願いから始める(例:「この資料、目を通してもらってもいい?」)
  • 相手の反応を観察する(断られても「嫌われた」ではなく「選ばれなかった」と捉える)
  • 感謝をしっかり伝える(「助かった」「ありがとう」を素直に言葉にする)

少しずつ頼み方を練習していけば、共感と自己犠牲のバランスが整ってくる。
それは、人との信頼関係を築く技術でもあり、
そして何より、“自分を大切にする力”でもある。

まとめ:共感の優しさを、自分にも向けてみる

相手の状況を想像して、思いやって、言葉を飲み込んでしまう。
その優しさは本当に美しい。
でも、その優しさを少しだけ自分にも向けてみてほしい。

「お願いしてもいい」「助けを求めてもいい」――
その許可を自分に出せたとき、きっと働き方も、生き方も、少しずつ軽くなっていく。

ABOUT ME
siratama
SIRATAMA(しらたま)です 医療従事者の理学療法士をしています。医療福祉の現場経験が沢山ありますので事業所による働き方や転職についての発信をしています。趣味のピラティスでは資格取得、メタバース分野でも体を動かす健康についても活動中です。多趣味で雑記の記事も投稿中