週休3日を選んだら、社会のレールから外れた気がした。その後、どうなったか
「週休3日って羨ましいよね」
実際にそんな声をよく聞く。でも、現実はただラクなわけじゃない。
僕は、あるとき週休3日制の働き方を選んだ。
その選択によって、世の中の“普通”から外れた感覚を持つようになった。
今回はその「レールから外れた感覚」と、「その後のリアル」について書いてみたい。
「週休3日」という選択で感じた、社会とのズレ
✔️ 周囲と比べて感じる待遇の差
週休3日という働き方は、柔軟で自由に見えるけれど、待遇面での違いがはっきりと存在する。
- リフレッシュ休暇の対象外
- ボーナスが大幅カット(制度上ゼロのはずが、少しだけ支給)
- 任される仕事は簡易なものが多く、責任ある業務は少なめ
「週休3日だから…」という目で見られることが増えた。
この時、「あ、自分は“普通の働き方”から外れたんだな」と強く感じた。
罪悪感と、認められたい気持ちのジレンマ
週休3日はたしかにラクだ。
けれど、それだけじゃない。物足りなさ、孤独感、そして罪悪感があとからついてくる。
もっと会社に貢献したい。
もっと必要とされたい。
でも、「週休3日だからこのくらいでいいよね?」という無言の圧力。
そんな中で生まれたのは、“認められたい”という気持ちだった。
「週休3日でも、ちゃんと戦力になれる自分でいたい」
そう思うようになった。
周囲との関係と、自分の働き方の変化
✔️ 家族・友人の反応
- 実家の家族:「無理なく働けるならいいよ」と肯定的。車を手放した節約話に安心していた。
- 友人:「うらやましい」と言ってくれた。
✔️ 同僚との関係
- 前職:同じ仲間と同様に扱ってもらえていた。
- 現職:関係は悪くないが、任される業務に差がある。
それでも以前に比べて、ストレスは確実に減った。
週休3日で得た、自由と再構築の時間
「レールから外れた」ことで得たのは、ただの余暇ではない。
得たのは、自分を立て直すための時間だった。
✔️ 得られたもの
- お金の管理の重要性と向き合う力
- 副収入を模索する時間(トレーナーなど)
- 生活をコントロールする意識
- 何かに挑戦する気持ち
もちろんうまくいかない時期もあった。
収支管理ができず、貯金を減らしてしまい、「もう週休2日に戻ろうか」と悩んだことも。
でも、それすらも、変化を経験して初めて得られた学びだった。
レールから外れたからこそ、見えた景色がある
僕は、今も週休3日で働いている。
制度上のハンデはある。
待遇も、責任も、普通のフルタイム社員と同じではない。
それでも、この働き方を選んだ自分を、誇りに思っている。
なぜなら──
- 心が安定してきた
- 生活の質が上がった
- 自分の人生を「自分で選んでいる」感覚がある
レールから外れたい人へ、伝えたいこと
「変わりたい」「心を安定させたい」「このままじゃ苦しい」
そんな思いがあるなら、一度、外れてみてもいいと思う。
何をやりたいか決まっていなくても、「変わりたい」が強くあるなら、それは十分なスタートになる。
自分を律するのが苦手な人ほど、レールの外で育つチャンスがある。
それを、今の自分が証明しつつある。
「週休3日なんてレールを外れた選択だ」──確かにそうかもしれない。
でもそれは、“社会のレール”ではなく、“自分のレール”を走るための分岐点だったんだと思う。