「謝罪を受ける側の気持ち」について、あまり語られることは多くありません。
相手が悪気なくしてしまったこと。
それが自分にとっては許しがたい行為だったこと。
一方的に傷ついたと感じて、僕は謝罪の言葉を途中で遮ってしまった。
相手は何も言えなくなり、そのまま去っていった。
そして今、
相手が後日もう一度謝りに来るかもしれないという予感がある。
でも――
本音を言えば、会いたくない。
相手の気持ちも分かる。
「ちゃんと謝りたい」「終わらせたい」「償いたい」という思いがあるのかもしれない。
でも、こちらの心はまだ準備できていない。
謝罪の言葉を受け入れることは、自分の傷をもう一度見ることでもある。
許すこと=忘れることではない。
許すとは、自分の人生からその出来事にこれ以上エネルギーを割かないと決めること。
でもその“決める”ことさえ、とても重たい作業だ。
被害者であるはずの自分が、なぜここまで心の労力を払わなければならないのか。
そう感じてしまうのも、仕方のないこと。
無理に会わなくていい。
今は自分の心を守ることを、最優先にしていい。
会いたくないのは冷たいからじゃない。
それは、自分の傷を自分なりに癒すための“時間”がまだ必要なだけだ。
だから、たとえ相手が再び謝りに来ても、会わないという選択も、自分にとっては必要な境界線なのかもしれない。
自分を守ることと、相手を責めないことは両立できる。
それが「大人の許し」の形でもある。
まとめ:謝罪を受ける側にも、心の準備が必要
- 謝罪を受け入れる=許す、ではない
- 会いたくない気持ちは、自分を守る自然な反応
- 「許す」は、自分の心を解放するための行為
- 相手と距離を取ることは、冷たさではなく自己防衛
今すぐ答えを出さなくてもいい。
まずは、自分の心のペースを尊重すること。
それが、あなたの優しさを取り戻す一歩になる。