きまぐれノートplus

リセット症候群で消えたときの話

言葉にならない苦しさの中で

人と関わる中で、どうしようもなく疲れてしまうことがある。
インターネットのつながりも、職場の人間関係も、
すべてが重なって息が詰まる瞬間。

「もう、全部から離れたい」
そんな気持ちが一気に溢れて、私はアカウントを消した。
いわゆる“リセット症候群”のような行動だった。

理由を説明する余裕もなく、ただ静かに消える。
それは逃げのようでいて、当時の自分にとっては生き延びるための行動だった。

消えたあとに届いた「怒りのメッセージ」

しばらくして、別の仲の良かった友人から長文のメッセージが届いた。
そこには強い言葉が並んでいた。

「どうして何も言わずにいなくなったの?」
「心配したのに。」
「裏切られた気持ちだよ。」

読むのが苦しくて、胸が締めつけられた。
「やっぱり自分は良くないことをしたんだ」と強く感じた。
でもその友人に、理由を正直に話したら、
彼(彼女)は時間をかけて理解してくれた。

そして、再びつながることができた。

怒られ、理解され、また関わるようになった――
この経験は、私にとって大きな気づきだった。
「人は、正直に話せばもう一度わかり合える」という現実を知ったからだ。

それでも残る「自分を許せない」気持ち

理解してもらえたのに、自分の中にはまだ重い感情が残っていた。

“消えたくなったら消える。会いたくなったら会う。”

そんなふうに振る舞った自分を、どうしても許せなかった。
いくら「仕方がなかった」と頭で分かっていても、
心の奥では「自分勝手だった」と感じてしまう。

でも、今になって思う。
あのときの私は、「人を大切にしていたからこそ」苦しかったのだと。
無理をしてつながり続けるより、
いったん全部から距離を取らなければ、
自分が壊れてしまいそうだった。

それは逃げではなく、精一杯の防衛反応だったのだ。

罪悪感と優しさは、同じ根から生まれる

自分を許せないという気持ちは、
実は「人を大切に思う力」の裏返しでもある。

「相手を傷つけたかもしれない」
「心配をかけたかもしれない」

そう感じるのは、
本当に相手を大切にしていた証拠だ。

だから、「自分勝手だった」という言葉は、
「当時はそれしかできなかった」と
少しずつ言い換えていくことにした。
そうすることで、過去を“理解”の目で見られるようになる。

今は「会わない」と決めた

消えてしまったもう一人の友人――
また会いたい気持ちは確かにある。
でも今の自分には、まだその準備ができていない。

だから、私は「会わない」ことを選ぶ

それは逃げではなく、
「無理をせず、誠実でいたい」という意思だ。
関係を終わらせるのではなく、
“いつか落ち着いた心で会える日までの保留”
として、大切に置いておく。

距離を置くことも、つながりの一部

人との関係は、“常に近くにいること”だけが愛ではない。
ときには、距離を取ることが、
いちばん誠実な優しさになる。

時間が経って、
「当時の自分も、今の自分も、どちらも自分だ」と
思える日が来たとき。

もしその時にまた誰かとつながりたいと思えたら、
それは“過去のやり直し”ではなく、
新しい関係の始まりなのだと思う。

おわりに

リセット症候群のように、関係を絶つことでしか呼吸できなかったあの時期。
あれもまた、必要なプロセスだった。

怒られ、理解され、そして自分と向き合って、
私はようやく少しだけ「人を信じる勇気」を取り戻せた気がする。

「会わない」と決めることも、
「もう一度会いたい」と思うことも、
どちらも間違いではない。

大切なのは、どんな選択をしても、自分の心に誠実であること
そうやって少しずつ、
消えてしまった自分も、今ここにいる自分も、
同じひとりの私として受け止めていけたらと思う。

最後に

もし、今この文章を読んでいるあなたが、
「もう全部から離れたい」と感じているなら、
どうか覚えていてほしい。

“消えること”は、弱さではない。
“戻ること”も、強さだけじゃない。
どちらの選択も、あなたの中にある
「自分を守りたい」「誰かを大切にしたい」気持ちの延長線上にある。

あなたのタイミングで、あなたの形で、
また誰かとつながればいい。

ABOUT ME
siratama
SIRATAMA(しらたま)です 医療従事者の理学療法士をしています。医療福祉の現場経験が沢山ありますので事業所による働き方や転職についての発信をしています。趣味のピラティスでは資格取得、メタバース分野でも体を動かす健康についても活動中です。多趣味で雑記の記事も投稿中